前回の内容は両親との関係性を
見つめる話しでしたが
実はとてもつらいことでした。
読んでない方はコチラをどうぞ
「父母の幻影と別れる癒しのプロセス」
最初から読みたい方はコチラをどうぞ
「厳しい母と暴力的な父に育てられると子どもはどうなる?」
心理学では「分離」と言うけど
私は自分1人でこれを行ったので
本当に長い時間がかかりました。
でも本当の自分になるためには
避けられないプロセスです。
よく自分探しの旅に出る人がいるけど
そんなのどこにもないですよ!
『本当の自分』は外にはありません。
あなたの中にあります。
さて、幹生との結婚は私の両親に
7年間反対されました。
理由は年下で高卒だから。
私は想定内だったので
そんなにショックじゃなかったし
元々そんなに結婚したくなかったから
このままでもイイヤーって感じ。
結婚願望のない私と
結婚したくてたまらない幹生。
反対されていた7年間で
私たちは沢山の、話し合いと言う名の
喧嘩をしました。
価値観も性格も全く違う二人なので
お互いのやる事なす事が
全然予測できないし、理解できない。
私はそれを埋めたくて、とにかく
幹生に話し合うことを求めて
分かり合おうと懸命でした。
夜中に喧嘩して、
“朝まで生テレビ”状態で話し合い。
今考えれば大間違いのコンコンチキ!
真剣にこっちが話してるのに
フッと見ると幹生は寝てる。
考えてるのかと思ったら
また寝てる!
ぶち切れて怒鳴りつける私
幹生にひどい事を言われて傷ついて
「もう出て行く!」と泣きながら
夜中の住宅街をパジャマで走り出すけど
私のうちじゃんねぇ・・・
でもそれがあったから
今の私たちがあるんです。
この頃できたフレーズが
「サボってると、愛されないよ!」
友だちに「なんで洋子たちは
そんなに仲いいの?」と聞かれれば
「だって私たちサボってないもん。
みんなサボってるから愛されないんだよ」
って答えてました。
なんと、20年以上使ってるフレーズ!
両親が結婚を許してくれたきっかけは
私の妹が作ってくれました。
彼女のおかげで結婚できたようなもの。
でも結婚までの様々な準備や話し合いの中で
母とは何回もぶつかりました。
幹生との結婚について
「洋子は結局いつも安易な道を選ぶんだね」
と言われたのが、どういう意味か全く分からず
もう彼女と言い争うのもイヤだったので
放っておいたけど、とても悲しかった。
そして何度も何度も
呪いのように言われた言葉は
「結婚なんて我慢と忍耐だから。
今までの洋子のやり方では絶対に
うまくいかないから、覚悟しなさい」
これなんて、まさに絶対に違う!
って思いながら結婚生活を送ってきたので
まさに、彼女のおかげだよね。
「お母さんの言ってることが
間違ってることを私の結婚で
証明してやる」って宣言しました。
ホテルの披露宴の食事も
当時はフレンチか
イタリアンしかなくて
幹生と毎週末探して報告すると
「お母さんは披露宴の食事は
和食か中華じゃなきゃダメ。
それがイヤなら結婚させません」
ってなんだそれー!!!!
結納も結婚式も着物もドレスも
引き出物も、とにかく何もかも
全部ダメだし。
ここまで来てやっと分かりました。
結婚式って私のものじゃないんだ。
お母さんのものなんだなぁって。
両親と精神的に離れるために
自分を取り戻すことをやっていたけど
まだ彼らの言動に、心が動揺して
その度に幹生に泣いていました。
今は母の気持ちがよく分かります。
寂しかったんですよ、それだけ。
結婚までの準備を私に相談されながら
一つひとつやることで
折り合いをつけたかったんでしょう。
自分も子育てが不安で、
田舎から離れて頼る人が一人もいない
そして旦那は優しくないし怒鳴る
どうしていいか分からない
そんな状態で一生懸命
「この子をキチンと育てなきゃ」って
思っていたのに違いない
これを書きながら
「洋子は昔から遠い子だったね」って
って言われた事を思い出しました。
でもね、あの頃は、今みたいには
全然思えなくて、とにかく反発してた。
さて、幹生は結婚できることに
本当に大喜びだったけど私にとって結婚とは
ただの通過点でしかなく
幹生と歩く人生はこれからも
波乱万丈だろうなぁって
何となく思っていました。
でも、まさかその結婚生活に
一番苦しくて、最悪なことが
待ち受けているとは
思っていませんでした。
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サボってると、愛されないよ!